明らかに:HMSエンデバー号の不名誉な運命

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明らかに:HMSエンデバー号の不名誉な運命

米国の研究者たちは、ジェームズ・クック船長が乗船し1768年から1771年にかけて太平洋を航海したことで知られる船、エンデバー号の残骸を特定したと考えている。

ジェームズ・クック船長:彼の有名な船よりわずか1年だけ長生きした。写真:Shutterstock

クックは1779年、 HMSレゾリューション号に乗って3回目の探検航海中にハワイ諸島民によって殺害されたが、 HMSエンデバー号の最終的な運命は、アメリカ独立戦争中のロードアイランドの戦いの直前の1778年にニューポート港でイギリス軍によって沈没した13隻のうちの1隻であることがロードアイランド海洋考古学プロジェクト(RIMP)によって特定されるまで謎であった。

RIMP事務局長のキャシー・アバス博士はCNNに対し、「アメリカ軍は本土に集結し、フランスは救援に艦隊を派遣しました。イギリス軍は大きな危険にさらされていると認識し、13隻の船を一列に並べて自沈させ、市街地を封鎖するよう命じました。しかし、船はかなり浅い海域で沈没しました」と語った。

エンデバー号が海図から消えたという事実は、太平洋任務後のある時点でロード・サンドイッチ号に改名されたという事実によってほぼ説明がつく。RIMPはロンドンでこの改名を裏付ける文書を調査。その文書には「13隻の艦隊の艦艇群と、各艦群が自沈した場所が特定されている」と記されている。

アバス氏は「その大きさ、寸法、そしてこれらの記録から、サンドイッチ号がエンデバー号であったことが分かる」と語った。

エンデバー号の残骸は、同様の不名誉な運命を辿った他の4隻の船の残骸と並んで横たわっている。RIMPは現在、どの船がエンデバー号なのかを正確に特定するため、「各船の構造と関連遺物のより徹底的な調査」を計画している。

プロジェクトのウェブサイトでは、明日さらに詳細が明らかになるとのことです。®

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